「招き猫」の歴史(2)2020.4.15
みなさん、「招き猫」はご存じでしょう。片方の前足をあげて座っている形の猫の像です。左手を上げていると客を招き、右手を挙げていると金を招くとされます。
招き猫の起源として、もうひとつ有名なのが東京都世田谷区の豪徳寺とする説です。
豪徳寺は、彦根藩主井伊家の江戸の菩提寺です。国指定史跡の井伊家墓所のほか、仏殿、梵鐘など井伊家ゆかりの文化遺産がいろいろあります。
豪徳寺周辺は、室町時代の頃には奥州出身の吉良一族が城を構えていましたが、豊臣秀吉の小田原征伐をきっかけに取り壊されました。
その後、小さな庵ができ、江戸時代の初期に彦根藩井伊家の菩提寺になったとされます。幕末に桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓もここにあります。
井伊家の菩提寺になったきっかけとして、次のようなエピソードが語り継がれています。ある時、彦根藩の二代藩主であった井伊直孝が鷹狩りの帰りに寺の前を通りかかった際、和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたので立ち寄りました。
すると急に雷が鳴り、雨が降り始めました。雨に降られずにすんだ二代藩主は寺に多額の寄付をして、菩提寺にしたというのです。
和尚は猫が死ぬと墓を建てて弔いました。さらにその後、境内には「招猫殿」が建てられ、猫が片手を挙げている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになったそうです。
現在、「招猫殿」を入った左手には数多くの招き猫が置かれています。これらは、願が成就したお礼として奉納されたもので、右手を上げていますが小判は持っていません。
猫を祀った「招猫殿」
※世田谷区ホームページより
奉納された招福猫児
※Wikipediaより
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