「招き猫」の歴史(3)2020.5.1
みなさん、「招き猫」はご存じでしょう。片方の前足をあげて座っている形の猫の像です。左手を上げていると客を招き、右手を挙げていると金を招くとされます。
- 伏見稲荷神社の土産物ルーツ説
「招き猫」の起源として、もうひとつよく挙げられるのが京都の伏見稲荷大社です。
伏見稲荷大社は奈良時代の和銅4年(711)に開かれ、全国に現在、約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社です。
稲荷神はもともと五穀豊穣を司る神様ですが、やがて商売繁盛や家内安全、芸能上達などの守護神としても信仰されるようになりました。
江戸時代になると特に商売繁盛を願う商人の人気を集め、ご利益(結願)があったお礼として赤い鳥居を奉納する習慣が広まった結果、あの千本鳥居ができたとされます。
ちなみに、現在でも鳥居を奉納することができ、初穂料は鳥居の大きさや奉納場所によって21万円から最高160万円となっています。
※http://inari.jp/gotinza1300/index.html
それはさておき、江戸時代には大勢の参拝客を相手に、伏見街道沿いにはお土産のための土人形をつくって売る窯元が60軒以上並び、「伏見人形」として親しまれるようになりました。
伏見稲荷大社がある深草周辺にはかつて、土器づくりに携わっていた土師部(はじべ)が住んでいたとされ、その流れを汲んでいるともいわれます。
この「伏見人形」が全国各地に伝わり、郷土玩具として広まった中に、本シリーズの1回目に取り上げた「丸〆猫」(まるしめねこ)の今戸焼もありました。
伏見人形には様々なテーマ、形のものがあり、その中に「招き猫」もあったのかもしれません。
今戸焼と同じように、伏見人形の窯元も現在はほとんどなくなり、今では寛永年間(1750年頃)創業の丹嘉という会社が唯一、製造・販売を続けており、ネットでは「招き猫」も販売されています。
http://www.tanka.co.jp/base.htm
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