柴犬物語(2)柴犬の歴史2022.12.5
日本には古来「日本犬」と呼ばれる固有のワンちゃんたちがいます。国の天然記念物にも7種が昭和初期に指定され、いまも6種(柴犬、紀州犬、四国犬、北海道犬、甲斐犬、秋田犬)が全国各地で飼われています。
このうち最も多いのが「柴犬」(しばいぬ、しばけん)です。海外でも人気が高く「Shiba Inu」とか「Shiba」と呼ばれているとか。
とはいえ、そもそも柴犬とはどんな犬なのでしょうか? 今回は柴犬の歴史を簡単に振り返ってみます。
国の天然記念物に指定されている日本犬のうち、「柴犬」だけは地名が付いていません。
これは昭和になってから、小型の日本犬を総称する名前として使われるようになったからです。
それまでは地域によって石州犬(島根)、美濃犬(岐阜)、信州犬(長野)、加州犬(石川)、立山犬(富山)などと呼ばれていたようです。
こうした全国の小型犬を「柴犬」と呼び始めたのは、「日本犬保存会」の創始者である齊藤弘吉氏でした。
「柴」というのは一般的にはこぶりな雑木のことを指し、そこから小型犬を「柴犬」と呼ぶようになったのではないかといわれます。
いずれにしろ、「柴犬」という呼び方は100年ほど前からと、比較的新しいようです。
また、日本古来の小型犬である柴犬は、山岳地帯や交通の不便な山里においてそれぞれの血筋が引き継がれてきましたが、明治維新後には次第に減少したり雑種化が進んだりしました。
そのことに危機感を覚えて日本犬保存会をつくったのが斎藤弘吉氏だったというわけです。有名な「忠犬ハチ公」の話も実は、斎藤氏が日本犬をいろいろ調査している中で見出し、新聞に寄稿したことで一躍、有名になったものです。
柴犬は第二次世界大戦を経てさらに減少し、わずかに山陰や四国、山梨などに残っていました。そこから各地の有志の努力によって繁殖され、現在のように多くの人に愛される存在になったのです。
こうした経緯について公益社団法人日本犬保存協会の資料では概ね次のように説明しています。
日本犬を保存するために「日本犬保存会」が1928年(昭和3年)に設立され、本格的な保存活動が行われるようになりました。
1932年(昭和7年)10月から日本各地の犬について詳細な血統書をつくる事業が開始され、1936年(昭和11年)には国の天然記念物にも指定されました。
その後、第2次世界大戦に入り、多くの日本犬も犠牲となりました。保存活動にも、終戦前より戦後3~4年間はおもだった活動はみられませんでした。
現在の柴犬の祖犬と言われるのは島根県西部の二川村(現在 益田市美都町)で生まれた石州犬「石(いし)号」です。
石号は1936年(昭和11年)に血統登録され、その後、「石号」と四国産「コロ号」との交配で「アカ号」が誕生。
さらに「アカ号」と鳥取産「ハナ号」の間に「紅子号」が誕生し、「アカ号」と地犬の「明月号」から「アカ二号」が誕生しました。
そして「アカ二号」と「紅子号」の間に「中号」が誕生し、この「中号」から戦後、多くの柴犬が生れたのです。
萩・石見空港のある島根県益田市が「柴犬の聖地」とされるのもうなずけるのではないでしょうか。
※「石号」と「中号」
※柴犬の系譜
※公益社団法人 日本犬保存協会
http://www.nihonken-hozonkai.or.jp/history/
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