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柴犬物語(4) 日本における犬たちの歴史

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日本には古来「日本犬」と呼ばれる固有のワンちゃんたちがいます。国の天然記念物にも7種が昭和初期に指定され、いまも6種(柴犬、紀州犬、四国犬、北海道犬、甲斐犬、秋田犬)が全国各地で飼われています。

こうした日本犬の祖先をたどると縄文犬と弥生犬にさかのぼりますが、日本における犬たちの歴史を簡単に振り返っておきましょう。

 

 

 

縄文時代はまだ農耕が始まっておらず、人々は狩猟生活を送っていました。縄文犬はそうした狩猟生活において重要な役割を果たしていたのです。

 

大型のイノシシなどの狩りにおいて、縄文犬は獲物を追いかけたり追い詰めたりしたはずです。ときには獲物が暴れてケガをすることもあったでしょう。

実際、出土した縄文犬の骨には骨折の跡があったりします。また、縄文犬の骨は全部そろって出土したり、人間の骨と一緒に出土することもあり、丁寧に埋葬されていたと思われます。

 

一方、弥生時代になると農耕生活が中心となり、狩猟に犬を利用する機会は随分減ったはずです。

むしろ、中国大陸や朝鮮半島から犬を食用にする風習が入ってきて、そうした痕跡が遺跡から出土しているそうです。

 

その後、6世紀に入って仏教が伝来すると肉食が禁止され、犬はまた主に使役犬として飼われるようになりました。

日本書紀には、屯倉(みやけ)という朝廷の直轄地を全国に展開する際、その守衛として犬を飼う専門職として犬養部(いぬかひべ)を置いたという記述があります。主な役割は狩猟と警護だったようです。

 

奈良時代から平安時代になると、貴族の鷹狩に連れていかれたり、番犬として飼われたりするようになりました。ただ、この頃は中国からやってきた猫のほうが珍しく、朝廷などで紐につながれて飼われていたのとは対照的に、犬たちは放し飼いで野良犬もいたようです。

 

鎌倉時代以降、犬はやはり放し飼いにされ、弓術の鍛錬法で的にされたり、闘犬が流行したりしました。

特に戦国時代になると軍用犬や伝令犬、偵察犬として利用されることが増え、飼い主(主人)に忠義を尽くして命を落とした犬のための犬塚やお墓がつくられたりもしました。

 

日本で犬に対する意識が大きく変わったのが、江戸幕府の5代将軍綱吉による「生類憐みの令」です。

綱吉は特に犬を手厚く保護しました。例えば、犬を傷つけたものは死罪とし、広々として犬の保護所「御囲」をつくったりしました。

極端なやり方ではありますが、これをきっかけに人々の犬への意識が変わったのは確かなようで、江戸時代後期には裕福層の間で犬が愛玩動物として飼われるようにもなったそうです。

 

図表 生類憐みの令

https://meiji-museum.note.jp/n/n9929ec611baa

 

図表 現在の中野駅周辺につくられた中野御囲の位置

http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/okakoi.htm

 

 

明治維新後、日本には多くの洋犬が入って来ました。そして、ペットとして飼うことが当たり前になっていきました。

そのきっかけになったのが明治6年に出された「畜犬規則」です。これにより飼い主の名札がついていない犬は野犬として殺処分されるようになり、各家庭で犬を飼うようになったのです。その時に都市部で飼い犬となったのは洋犬のほうが多かったようです。

さらに第二次世界大変が始まると、負傷兵や爆弾の捜索、伝令などとして利用され、戦地で死んだ犬も多かったようです。その多くはおそらく日本犬だったのではないでしょうか。

 

近年、柴犬をはじめ日本犬が注目されていますが、その裏にはこうした日本における犬たちの数千年にわたる歴史があります。

日本犬たちの今後の活躍にぜひ期待したいと思います。

 

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